徒然なる日記

田舎在住。周りよりちょっとだけ楽しいことをしている大学生の見聞録。

【東京から名古屋】ヒッチハイクしたら、価値観も人生も変わらないけれど、飲み会のネタがひとつ増えた。

11月某日、東京から名古屋にヒッチハイクで帰ることになりました。

 

もともと他の用事で東京に来ていたのだけど、一緒に来ていたダチがこんなことを言ったのです。

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そんな適当な理由で2秒でヒッチハイクが決まりました。

 

持ち物は

・スケッチブック

・太めのペン

 

これだけ!!前日に本屋で購入しておきました。500円そこそこで買えます。

 

ヒッチハイク当日

当日の朝、僕はある動画のことばかり考えていました。

それがこちら。


【無一文】東京から愛知まで0円ヒッチハイク!!!

 

大学一年生の時にこの動画を見て「大学生のうちにヒッチハイクしたいなあ・・」と思ったのを今でも覚えています。

(ついに自分もやるのか・・成功するのかな・・)と思いながら朝の東京を歩きながらヒッチハイクの出発地に向かっていました。

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動画の中でも言っていた通り、出発地は言わずと知れたヒッチハイクの名所「用賀」

 

恥ずかしさもありながら、意を決してスタート・・!!

今回のルートは

「用賀IC→名古屋」

これ以上ないほどのざっくりルート。果たして2人はたどり着くのだろうか・・?

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9:00

 

「海老名SA」の文字を掲げ、運転手の顔を笑顔でガン見しまくりました。

しかし、無情にもみんな素通りで去っていく・・・

 

時々若い兄ちゃんが「頑張れ青年!!」とこっちへグッドポーズをしてくれるのが嬉しかったです、(でも乗せてくれんのかい!!)

 

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15分くらい経過した時、

(待てよ、もっといいやり方あるんじゃないか?)と思い、ポーズを変えてみたり、スケッチブックの文字を変えてみたり、車が止まりやすい場所に移動してみたり、自分が運転手だったらどうしたら一番拾いたくなるか考えまくってひたすらアピールしました。

 

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(ちなみに一番ガン見される文字はこれでした)

 

10:00

そうこうしているうちに、なんと拾ってもらいました!!!

時間にして1時間弱!!

 

優しいお父さんに送ってもらいながら、足柄SAまで送ってもらいました。

酸いも甘いも噛み分けたお父さんの話を聞きながら、高速道路をひた走りました。

こんなお父さんみたいになりたいなと思いました!

 

ヒッチハイクのコツは、

・いかに運転手さんに楽しんでもらうか

・運転手さんの求めている学生像を見せるか

です。

 

乗せる側からすれば、楽しくなかったら「わざわざ乗せてやったのにこのクソガキたちめ」ってなります。

乗せてもらう僕たち側からしても、無料で乗せてもらうわけなのでせめてもの恩返しで楽しい時間を過ごしてもらいたいものです。

 

でも僕は失敗してしまった。。

 

まあ、失敗したというよりもっと上手くできたな、という感じでした。

 

向こうに伝わりやすいように自分のことを伝えたり、話が途切れないように上手く話を繋いだり。。陸大がかなり助け舟だしてくれました。

次に乗せてくれる車では挽回しよう!!と決意して車を降りました。

 

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12:00

なんだかんだで足柄SAに到着!

仕切り直しで「浜松」の文字を掲げてSAを歩き回りました。

下道と違ってみんなの反応がかなり良いです。面白がって見てくれました。

 

歩くこと15分。。

 

なんと早速次の車に乗せてもらうことに!!!

 

次は宮城からの仕事帰りのワイルドなガテン系兄さん4人。

 

男6人で車内で大盛り上がりしました。実は愛知へ帰る途中だったそうで、浜松までかと思いきや、奇跡的に名古屋まで送ってもらえることに!!

 

最後に、運転手のお兄さんがこんなことを言っていました。

「いつもは仕事帰りで疲れてるからみんな寝ちゃうんだよね。2人が乗ってくれたからみんな面白がってくれたよ。みんな寝ることなく帰ってきたことは初めてだよ。」

 

最後の最後でとても嬉しい言葉をかけてくれました。

 

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16:30

というわけで到着!!

2人で乾杯してヒッチハイクは終わりました。

時間にして6時間半。まさかの高速バスよりも早いという結果に笑笑

 

ちなみに帰ったら速攻で寝ました。

昼寝のつもりだったのに18:00から翌朝7:00まで寝ました。

こんなに熟睡できるほど楽しかったです。

 

 

最後に

今回車に乗せてくれた皆さん、色々教えてくれたりだい、面白がって応援してくれた人たち、ありがとうございました!!

 

ヒッチハイクで乗せてくれる運転手の人はみんな親切な人ばかりでした。

正直今回はビギナーズラックも大きいと思います。

もしかしたら悪い人に捕まってしまうことも十分にあり得るので、ヒッチハイクは完全におすすめできるとは言い切れません。

 

でも、車を止めてもらったあの喜び、車内で盛り上がったあの楽しさ、目的地に到着したあの達成感を感じることができるのは、ヒッチハイクをした人にしかわかりません。

 

20歳のいま、高速バスと同じ時間で一生記憶に残る体験が出来ました。

 

正直、30歳になって同じことはできません。体力的にも、社会的にも、ハードルが高いんじゃないだろうか。

 

だからこそ時間と若さのある今しかできないだろうし、僕はやってよかったと思います!

 

こんな6時間ぽっちで価値観も人生も変わるわけではないけれど、飲み会で話せる鉄板ネタが一つ増えました。世の中、面白い鉄板ネタをいくつも持ってる者勝ちです。

 

もし10年後、街で車を運転しながらヒッチハイクをする学生を見つけたら、今度は自分の車に乗せて、自分のヒッチハイク体験談を話そっと。

せかいしけいえい辞めました。

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結論から話します。

 

「せかいしけいえい」を辞めることにしました。

 

6/30に開催を予定していた第9回せかいしけいえいも中止とします。参加を考えていた皆さんには申し訳ありません。

 

これは、面倒になったからとか、就活の時期だから、という理由ではないんです。
その理由を話すためには少しだけ遡って話さなければいけないので、ちょっとだけお付き合いください。

 

本当は関わりのある人ひとりひとりに今から話すことを伝えたいけれど、キリが無くなってしまうのでブログで話します。

 

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そもそも僕がせかいしけいえいを始めたきっかけは1年前、奇しくも今と同じように名大祭が終わったとき。

 

それまで名大祭実行委員として名大祭準備に打ち込んでいた僕は、任期満了とともにたくさんの暇な時間を過ごすことになりました。

 

暇な時間が増えると、今まで考える余裕がなかった不安が出てくるようになります。僕の不安は「なんで大学に通っているんだろう」というものでした。

 

大学に入った時に教師という夢が「なんか違うな」と思った(ここら辺の話は別でたくさん話しているので今回は割愛)僕は、どうして毎年何十万円も払って大学に来て、どうして毎日面白くもない授業を聞き、どうして友達と毎日くだらない話をして、どうして惰性でバイトに行き、どうして安い酒を飽きずに飲み、どうしてテスト前に焦って特に将来役に立つと思えないフランス語文法を必死に暗記しているのだろうかと悩んでいました。

 

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そこで本当に運よく、今もお世話になっている先輩たちに出会うことができ、自分で行動してその意味を見つけ出さないと同じ悩みを持ち続けるだけだと思ったのです。

 

だからこそ、とても好きだけれど自分のための意味を見出しきれていない「歴史」に意味を見つけ出そうとして「せかいしけいえい」というイベントを始めました。

今となっては100人を超える参加者の方に来ていただき、会ったことのない人でも「せかいしけいえい」という単語は知っていると言ってくださったり、始めた当時はそんなこと全く予想のしていなかったことでした。

 

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第1回、第2回、第3回と回を重ねるごとにたくさんの方に参加していただき、

「歴史ってこんなに面白いんだ!」
「歴史からモノを見るって斬新でいいね」

という声をたくさんいただきました。その頃には自分なりに歴史に対して意味を見出だせて来たのだと思います。

 

いま僕は、歴史は教養そのものだと思っています。
歴史は世の中で、プログラミングやデザインスキルのようにお金を稼ぐ武器にはなりません。しかし、それらを武器にしていく上で相手に信頼してもらったり、相手に感謝したりといった土台がなければ何をやってもうまく行きません。

その本質的な教養を学べる一番良いツールが歴史なのだと思います。だからこそ今でも歴史は好きだし、曲がりなりにも歴史に向き合ってみてよかったなと思います。

 

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それが見出だせたのが第4回のせかいしけいえいでした。

今年の1月に開催した第4回せかいしけいえいでは、過去最大となる25人くらいの方に来ていただきました。
もうひとつ印象に残ったのは投げ銭制度」。参加費を参加者に委ねたのです。もしかしたら参加費0円という人もいるかもしれないな、と思っていたところ、なんと合計で40000円をいただくことが出来ました。
家で参加費の合計を数えていた時に(これだけの人が価値を感じてくれているのマジですごいな)って一人で興奮していたことを覚えています。笑

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その時くらいから、自分の中での目標がわからなくなりました。

歴史は意味あるものだと確信が持てているのに、歴史に意味を見い出すために始めたこのイベントをやる必要があるのか。

一方で、(全然大したことはないけれど)ちょっとずつ有名になりつつあるせかいしけいえいに興味を持ってくれている周りの人からは、

「楽しかったからもう一回参加したい!」
「次いつやるの?」

「次は参加したいから呼んでよ!」

と言っていただけるようになりました。

僕は単純な人間なので、そういう言葉を聞くと嬉しくなっちゃいます。笑

 

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そうして、惰性とも周りからの支えとも言えるこの気持ちが僕のせかいしけいえいへの原動力になり続けました。

その頃から「もっと多くの人に歴史の素晴らしさを知ってもらう」「事業としてせかいしけいえいを大きくしていく」ということが僕の中での目標になっていました。今思うとそう定義するしかなかったのかもしれません。

 

1月からはスペース24コミュニケーションズさんという企業の起業家プロジェクトに参加し、「せかいしけいえいを事業にする」という目標をもとに、お給料をいただきながらたくさんのアドバイスや支援、経験をいただきました。

考え方、心構え、実際に事業にするために必要なこと、リアルな企業の本音など、ここには聞き尽くせないほど本当にたくさん支えていただきました。

知識も経験も浅すぎる大学生にこんなに親身になって支えてくれるという環境は、お礼を言ってもいい尽くせないほどです。

 

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順調にせかいしけいえいの規模を大きくし、スペース24さんの中でのとても素晴らしい環境があり、さらにそれに伴い自分の収入も増えていきました。

自分はいまいわゆるバイトをしていません。これ以外にもご縁で紹介してもらった家庭教師(これ一応バイトじゃないって思ってます笑)が2件あり、収入のポケットを分散し、なおかつそれぞれのポケットでそれなりの額をいただいていました。バイトをしていた頃よりも時間に余裕ができ、なおかつ収入も増えていました。

今だから言っちゃうけれど、先月は自分の収入が平均の新卒の人のお給料を越えていました。

 

正直客観的に見たら、順風満帆でした。

 

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しかし、そんな環境の中で自分は違和感を感じていました。

 

3年生になり、僕が所属する名古屋大学では「インターン」やら「就活」やらそんな単語が飛び交うようになりました。

圧倒的一般大学生ルートを突き進んでいた自分も例外ではありません。将来の職業というやつを意識しだすようになりました。

 

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そして、ここで壁にぶち当たります。

 

「自分は何になりたいのか。」

 

せかいしけいえいをこのまま大きくしていきいずれはこれを会社にして自分は社長になりたいのか・・・?

今までの経験を活かせる職業であるコンサルタントになりたいのか・・・?

ずっと学校の先生になりたかったし、せかいしけいえいでの歴史を教えるという経験を活かし、教育業界で活躍したいのか・・・?

たくさんの参加者を集め、人と人の繋がりをたくさん作ったという経験を活かし、人材業界で活躍したいのか・・・?

 

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どれも正解で、どれも不正解のように感じました。
これらは全て自分の本心であり、嘘ではありません。この気持ちはきちんと論理が通っており、聞いてくれる人も「それいいね〜」とか言ってくれました。

 

でも自分の中でどれも本質的じゃないような気がしたのです。
せかいしけいえいを始めた時のような「これしかない!!!俺はこれで一花咲かしてやる!!!」という熱が湧き出てこない、そんな気持ちの悪い期間が続きました。

 

毎日自問自答して答えのない問題を考える日々が続きました。

これが正解の「やりたいこと」なのだと思っても、翌日には考え方が正反対になっていることはしょっちゅうありました。そんな自分に腹が立ってばかりでした。

 

冷静になって当時を見つめると、自分が熱意がないのに周りからの期待のみが原動力になって活動を続けていたのだなと思います。
ただ、当時はそれを認めたくない自分がいました何かを続ける時に痛みは付き物です。成功している人が相対的に見て少ないのは、彼らがしんどい時も苦しい時も踏ん張って乗り越えてきたからです。これはこの世の真理だと今でも思っています。

 

そんなモヤモヤやわだかまりを抱えたまま、先日他の用事で実家に帰りました。
夕飯を食べながら、両親に少しその悩みを愚痴っていました。
しかし、悩みが解決するわけでもなくなんとなく名古屋に帰る朝を迎えました。

 

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僕の実家がかなり田舎ということもあり、その日の朝は近く(といっても車で20分くらい)の最寄り駅まで母が車で送ってくれました。

 

駅に到着し車から降りようとした瞬間、訳も分からず涙が出てきました。
そのまま10分くらい号泣しました。普段全く泣かない人ということもあり、泣いている自分にとても混乱しました。涙も鼻水もよだれも嗚咽も止めどなく出てきて、人生で一番泣きました。

 

泣き止んだ直後、自分はこんなになるまで追い込まれていたんだとそこで初めてわかりました。自分のことなのに、その時初めてわかったのです。

 

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泣くと感情が落ち着き、自分の思考がとても冷静になります。
母と離れ、電車の席に座ってこんなことを考えました。

 

「いま、自分は『自分がどうなりたいのか』ということを考えなければこれからずっとこの苦しみに悩まされ続ける。今までも考えてきたが、泣くほど追い込まれていたということは今の手段が間違っていたし、考える時間すらなかったということだ。よし、せかいしけいえいとスペース24を辞めよう。

 

本当にすぐ決まりました。10秒くらいです。

 

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そこから5分でせかいしけいえいの参加者と会場を貸してくださる方に辞めるという連絡を入れ、その日の昼にはスペース24の社員さんの元へ行き、きちんと起業家プロジェクトを辞める意向と理由を伝えました。みんな僕の決断を温かく受け入れてくれました。本当にいい方達なのだなと改めて思いました。

 

今はこの決断に1mmも後悔していません。
なぜなら感情に任せた判断ではなく、きちんと理性的に判断できたからです。

 

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冷静になった今、自分の腑に落ちたものがあります。
それは、自分の身は自分の責任で守っていかなければいけないということです。

 

いま頑張っていることが辛くても、周りの人は助けてくれません。いまの自分に違和感を感じていても、周りの人はそれを拭ってくれません。
それに対して救いの手を差し伸べてくれることはあっても、それを掴むのは紛れもなく自分だけです。

 

自分が100%やりたいことではなく、相手の期待だけに振り回されていても、それは相手の責任ではなく自分をマネジメントできなかった自分の責任です。

何か違和感を感じていて、自分のやっていることが長く続かなくても、それは環境のせいではなく、それを選んだ自分の責任です。

 

だからこそ、自分で自分を守らなければならないと思いました。
同時に、相手の期待に振り回されることがいかにくだらないかがわかりました。

 

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だからと言って、今までの経験が無駄だったという訳ではありません。

せかいしけいえいは、周りの人の協力があってこそ成立したものです。どれだけ渾身の内容を制作してもそこに来る人がいなければそれはただのひとり遊びです。

失敗は自分の責任だけれども、成功は他人のおかげだと肌で感じました。

 

 

これからについては、次の目標を決めることに時間を注ぎたいと思っています。
もともとそれを考える時間が欲しいと思って今回の決断をしたので、あえて空白の時間を自分に課してみます。ライスワーク的に何かする以外はあえて何もしません。

何もやらないことに疑問を感じる方もいるかもしれません。しかし、一度歩みを止めてじっくり考えることに時間を注いでも許されてしまうのが学生の特権です。立ち止まっても、進んでも、足踏みしてもOKです。

むしろ、あえてそれに時間を費やすことがいま最も価値ある過ごし方だなと思います。

 

 

ただ、永遠にその時間を続けるつもりはありません。
「これだ」と思うものがあったらすぐにそれへ向けて走り出すと思います。それを見つけるためにちょっとだけ遠回りをさせてください。

 

今日や明日ではなく、もっと先を見て成長していきます。

 

ここまで読んでくれてありがとうございます。
これからも変わらず、どうか、よろしくお願いします。

#174 「ローマ帝国」長すぎ問題

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ビザンツ史の講義で思ったことがある。

 

ビザンツ帝国、流石にローマを名乗るの無理あることね????

 

いや、お前ら首都コンスタンティノープルやん。ローマすでにお前らの領土ちゃうやん。

 

だがしかし、世の中そんな正論が通じないことも様々だ。ビザンツだけではなくその他にも「ローマ帝国」を受け継ぐ国があるんじゃね?と思って調べてみた。

 

 

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そもそも、

 

ローマ帝国の前身、共和制ローマの起源は紀元前5世紀ごろ。

 

ローマの地を治めていたエルトリア人を追い出してローマ人たちによる共和制が始まったのだ。

 

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そして、なんやかんやあって、紀元前27年にローマは共和制から帝政に移行。いわゆる「ローマ帝国」になったわけだ。

 

しかし、紀元後375年にローマ帝国は東西に分裂。ここからは東西に分けて話を進めていく。

 

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東ローマ帝国

 

いわゆるビザンツ帝国として名を馳せていくことに。

 

しかしローマを領土内に治めていたのはわずかな期間で、ほぼギリシア・トルコ地方の血が入っている民族国家となる。

 

そんなビザンツも1453年に滅んでしまう。

 

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ビザンツを滅ぼしたオスマン帝国のスルタン メフメト2世とスレイマン1世は「ルーム・カエサリ」(トルコ語ローマ皇帝)と名乗るように。つまりはオスマンローマ帝国の後継者を名乗ったわけだ。

 

ちなみにそのオスマン帝国は1922年に終止符が打たれる。

 

名目上「ローマ帝国」は1922年に滅んだわけだ。

 

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他にも北方のロシア帝国古代ローマビザンツに続き「第3のローマ帝国」を自称していた。

 

こちらも1917年に滅んだ。

 

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西ローマ帝国

 

割と東側が正統の帝国継承者だと言われがちだが、こちらも継承してるっちゃしてるのだ。

 

西ローマ帝国時代は476年に早々と滅亡する。

 

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その後、ゲルマン人国家フランク王国が西方を治めていたが、当時の人たちの認識では「フランク王がローマ皇帝の後継者だ!」となったわけだ。

 

カール戴冠もその流れのひとつ。

 

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その後、カール大帝カロリング朝から分かれた東フランクの王オットー1世の戴冠によって神聖ローマ帝国が誕生。形では「ローマ皇帝」の冠が授けられたわけだ。

 

神聖ローマは1806年に滅亡している。

 

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ちなみに現在では「ローマ帝国」を自称している国家はなくなってしまった。

 

しかし、西側は1806年、東側は1917年まで(一応)「ローマ帝国」を自称していたわけだ。

 

ローマ人たちが、エルトリア人を追放して共和制を始めた紀元前5世紀から足掛け約2400年。

 

ローマ人たちの魂が受け継がれていると考えるとアツいよね。

 

 

生きている間に誰かがローマ帝国の継承国家作ってくれるのを期待しています。

#173 自然地理が一神教か多神教かを決めている

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仏教は多神教だ。

 

日本みたいな感じで、火の神様、水の神様、風の神様、とたくさんの神様がいるみたいだ。

 

教授が言うには、

 

「仏教が生まれたインドは森林が多い地帯だったから、森、川、畑とか、人々に恵みを与えるものが多かったんだ。だからいろんなものに神様が宿るって考えられていて、多神教になったんだ。」

 

 

 

なるほど確かに。

 

 

 

一方、イスラム教は一神教だ。

 

唯一神アッラーが森羅万象を司っていると言われている。だからアッラー以外には、イスラム教徒が崇めている神様はいないのだ。

 

でもなんで神様は一人(一「人」でいいのか?一神にしとこ。)しかいないのだろう。もっと日本みたいに色々な神様がいたっていいのに。

 

 

教授がこんなことを言っていた。

 

イスラム教が栄えたアラビア半島は砂漠ばかりだよね。だから砂以外ほとんど何もないんだ。人々に恵みを与えるものってオアシスくらいしかなかったんだ。だから神様も一神しかいないって言うのが自然な考えになっていったんだよ」

 

 

すごい。

 

へぇへぇボタンがあったら20へぇくらい押したい気分だ。

 

 

てかトリビア復活しろよ。高橋克実が髪の毛ある時代からトリビアの泉を見ていた古参としては復活してほしい気持ちが強い。

 

なんの話やねん。

 

#172 短歌が地震予測に使えるらしい

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2011 東日本大震災

 

太平洋沖の地盤沈下が原因で起こった地震だ。海底って動いているわけだから、過去にも同じようなタイプの地震が起こったみたい。

 

古典に記録が残っていたようだ。

 

869 貞観地震

 

同じように大地震が起き、大津波が東北を襲ったらしい。

 

それで、面白いのはここから。

貞観地震と同時期に時期にこんな和歌がある。

 

 

契りきな かたみに袖を 絞りつつ 末の松山 浪こさじとは

約束しましたよね。涙を流しながら。末の松山が浪を決してかぶることがないように2人の愛も変わらないと。それなのに

 

「末の松山」は宮城県多賀城のあたり。

 

ざっくり言うと、その末の松山が貞観地震の時に波をかぶることがなかったということだ。

 

その歌が人々の記憶に染み付いて何百年、東日本大震災が起こった。

 

津波は「末の松山」の跡地にギリギリ届かなかったのだ。

 

 

短歌の内容が津波防災に役立つかもしれないという研究もされているみたい。

 

 

すげえ。(オチなし)

 

#171 第5回 #せかいしけいえい が終わったぜい

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5回目のせかいしけいえいが終わりました!

 

参加してくださった皆さん、力を貸してくださった皆さん、応援してくださった皆さん、ありがとうございました。

 

流石に5回目ということもあり、イベント進行には緊張の「き」の字もなく進行できるようになりました。クソほど緊張していた半年前は懐かしい。

 

その分、他のところに目を配れるようになってきました。

 

具体的にいうと今後の話です。

 

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僕はプログラミングができるわけでもなければ、AIの知識も医療のスキルもブロックチェーンの知見もありません。でもやりたいことはある。

 

Twitterでいつか自分の目標を書きました。自分がやりたいなって思ってる割と大きな目標。「歴史を使ったコンサルタントになりたい」ってやつ。今まで何年も将来の夢がないマンだった自分にとってはこれが今結構大きな原動力になっています。

 

 

今後はそれを軸にやっていきます。別に今頑張っていることを全部放棄するわけではないし、今の生活がガラリと変わるわけでもない。

 

でも、その目標が叶うようにもっと手足を動かしてみたい。
具体的にいうと、#せかいしけいえい をはじめとして周りの人たちを巻き込めるイベント(イベントじゃないやつもあるかも)を増やしていく。

 

歴史を使って、困っている人の悩みをもっと解決できるように質を上げていく。

 

 

 

それができたらもっと楽しいんだろうなあ。

 

半年前、自分の好きなことで周りに認められたり、自分の好きなことで飯食ってけたら楽しいんだろうなあ、と思っていたように。

 

 

飲んでだらけてを繰り返す大学生活もお腹いっぱいだし、ちょっと他の人と同じはなんか嫌だし、自分だけしかできないおもろいことをやってみたいっていう気持ちは変わっていないし、これからも突っ走っていきたい!

 

 

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#170 ボンサバドゥ!

せかいしけいえいを終えて帰ってきたのが昨日の夜22:00を少し回ったところだ。

 

実家の方に5日間くらい戻っていたため久しぶりに名古屋に帰ってきた。

 

 

ん・・?

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戦犯である。5日間雨の日も風の日も吊るされ続けていた洗濯物がそこにはあった。

 

その日は半分いじけたまま寝た。ちゃんと翌日きちんと片付けました。

 

 

朝はベッドの中でブラーボりょうのボンサバドゥチャンネルをみていた。

 

どうやらチャンネル登録者数が鬼伸びているらしい。強くてニューゲームといったところだ。やはり東海オンエアのメンバーだからという理由もあるだろうが、何よりもりょうくんの好感度が爆上がりしたためだろう。詳しくは「りょうはサラリーマンでした」という動画をみてください。

 

結局、お金や顔や身長で図られる評価はちっぽけなものらしい。りょうくんの人間力みたいなところに30万人という人が評価をしたのだ。

 

僕も将来りょうくんみたいな人になりたいものだ。

 

りょうくんみたいになって「リビングつみきの」(名前変えるの面倒になっちゃった)の登録者を100万人にしてやろうと思った。

 

まあその頃にはつみき住んでないだろうけどな!