せかいしけいえい辞めました。
結論から話します。
「せかいしけいえい」を辞めることにしました。
6/30に開催を予定していた第9回せかいしけいえいも中止とします。参加を考えていた皆さんには申し訳ありません。
これは、面倒になったからとか、就活の時期だから、という理由ではないんです。
その理由を話すためには少しだけ遡って話さなければいけないので、ちょっとだけお付き合いください。
本当は関わりのある人ひとりひとりに今から話すことを伝えたいけれど、キリが無くなってしまうのでブログで話します。
ーーーーーーーー
そもそも僕がせかいしけいえいを始めたきっかけは1年前、奇しくも今と同じように名大祭が終わったとき。
それまで名大祭実行委員として名大祭準備に打ち込んでいた僕は、任期満了とともにたくさんの暇な時間を過ごすことになりました。
暇な時間が増えると、今まで考える余裕がなかった不安が出てくるようになります。僕の不安は「なんで大学に通っているんだろう」というものでした。
大学に入った時に教師という夢が「なんか違うな」と思った(ここら辺の話は別でたくさん話しているので今回は割愛)僕は、どうして毎年何十万円も払って大学に来て、どうして毎日面白くもない授業を聞き、どうして友達と毎日くだらない話をして、どうして惰性でバイトに行き、どうして安い酒を飽きずに飲み、どうしてテスト前に焦って特に将来役に立つと思えないフランス語文法を必死に暗記しているのだろうかと悩んでいました。
そこで本当に運よく、今もお世話になっている先輩たちに出会うことができ、自分で行動してその意味を見つけ出さないと同じ悩みを持ち続けるだけだと思ったのです。
だからこそ、とても好きだけれど自分のための意味を見出しきれていない「歴史」に意味を見つけ出そうとして「せかいしけいえい」というイベントを始めました。
今となっては100人を超える参加者の方に来ていただき、会ったことのない人でも「せかいしけいえい」という単語は知っていると言ってくださったり、始めた当時はそんなこと全く予想のしていなかったことでした。
第1回、第2回、第3回と回を重ねるごとにたくさんの方に参加していただき、
「歴史ってこんなに面白いんだ!」
「歴史からモノを見るって斬新でいいね」
という声をたくさんいただきました。その頃には自分なりに歴史に対して意味を見出だせて来たのだと思います。
いま僕は、歴史は教養そのものだと思っています。
歴史は世の中で、プログラミングやデザインスキルのようにお金を稼ぐ武器にはなりません。しかし、それらを武器にしていく上で相手に信頼してもらったり、相手に感謝したりといった土台がなければ何をやってもうまく行きません。
その本質的な教養を学べる一番良いツールが歴史なのだと思います。だからこそ今でも歴史は好きだし、曲がりなりにも歴史に向き合ってみてよかったなと思います。
それが見出だせたのが第4回のせかいしけいえいでした。
今年の1月に開催した第4回せかいしけいえいでは、過去最大となる25人くらいの方に来ていただきました。
もうひとつ印象に残ったのは「投げ銭制度」。参加費を参加者に委ねたのです。もしかしたら参加費0円という人もいるかもしれないな、と思っていたところ、なんと合計で40000円をいただくことが出来ました。
家で参加費の合計を数えていた時に(これだけの人が価値を感じてくれているのマジですごいな)って一人で興奮していたことを覚えています。笑
その時くらいから、自分の中での目標がわからなくなりました。
歴史は意味あるものだと確信が持てているのに、歴史に意味を見い出すために始めたこのイベントをやる必要があるのか。
一方で、(全然大したことはないけれど)ちょっとずつ有名になりつつあるせかいしけいえいに興味を持ってくれている周りの人からは、
「楽しかったからもう一回参加したい!」
「次いつやるの?」
「次は参加したいから呼んでよ!」
と言っていただけるようになりました。
僕は単純な人間なので、そういう言葉を聞くと嬉しくなっちゃいます。笑
そうして、惰性とも周りからの支えとも言えるこの気持ちが僕のせかいしけいえいへの原動力になり続けました。
その頃から「もっと多くの人に歴史の素晴らしさを知ってもらう」「事業としてせかいしけいえいを大きくしていく」ということが僕の中での目標になっていました。今思うとそう定義するしかなかったのかもしれません。
1月からはスペース24コミュニケーションズさんという企業の起業家プロジェクトに参加し、「せかいしけいえいを事業にする」という目標をもとに、お給料をいただきながらたくさんのアドバイスや支援、経験をいただきました。
考え方、心構え、実際に事業にするために必要なこと、リアルな企業の本音など、ここには聞き尽くせないほど本当にたくさん支えていただきました。
知識も経験も浅すぎる大学生にこんなに親身になって支えてくれるという環境は、お礼を言ってもいい尽くせないほどです。
順調にせかいしけいえいの規模を大きくし、スペース24さんの中でのとても素晴らしい環境があり、さらにそれに伴い自分の収入も増えていきました。
自分はいまいわゆるバイトをしていません。これ以外にもご縁で紹介してもらった家庭教師(これ一応バイトじゃないって思ってます笑)が2件あり、収入のポケットを分散し、なおかつそれぞれのポケットでそれなりの額をいただいていました。バイトをしていた頃よりも時間に余裕ができ、なおかつ収入も増えていました。
今だから言っちゃうけれど、先月は自分の収入が平均の新卒の人のお給料を越えていました。
正直客観的に見たら、順風満帆でした。
しかし、そんな環境の中で自分は違和感を感じていました。
3年生になり、僕が所属する名古屋大学では「インターン」やら「就活」やらそんな単語が飛び交うようになりました。
圧倒的一般大学生ルートを突き進んでいた自分も例外ではありません。将来の職業というやつを意識しだすようになりました。
そして、ここで壁にぶち当たります。
「自分は何になりたいのか。」
せかいしけいえいをこのまま大きくしていきいずれはこれを会社にして自分は社長になりたいのか・・・?
今までの経験を活かせる職業であるコンサルタントになりたいのか・・・?
ずっと学校の先生になりたかったし、せかいしけいえいでの歴史を教えるという経験を活かし、教育業界で活躍したいのか・・・?
たくさんの参加者を集め、人と人の繋がりをたくさん作ったという経験を活かし、人材業界で活躍したいのか・・・?
どれも正解で、どれも不正解のように感じました。
これらは全て自分の本心であり、嘘ではありません。この気持ちはきちんと論理が通っており、聞いてくれる人も「それいいね〜」とか言ってくれました。
でも自分の中でどれも本質的じゃないような気がしたのです。
せかいしけいえいを始めた時のような「これしかない!!!俺はこれで一花咲かしてやる!!!」という熱が湧き出てこない、そんな気持ちの悪い期間が続きました。
毎日自問自答して答えのない問題を考える日々が続きました。
これが正解の「やりたいこと」なのだと思っても、翌日には考え方が正反対になっていることはしょっちゅうありました。そんな自分に腹が立ってばかりでした。
冷静になって当時を見つめると、自分が熱意がないのに周りからの期待のみが原動力になって活動を続けていたのだなと思います。
ただ、当時はそれを認めたくない自分がいました。何かを続ける時に痛みは付き物です。成功している人が相対的に見て少ないのは、彼らがしんどい時も苦しい時も踏ん張って乗り越えてきたからです。これはこの世の真理だと今でも思っています。
そんなモヤモヤやわだかまりを抱えたまま、先日他の用事で実家に帰りました。
夕飯を食べながら、両親に少しその悩みを愚痴っていました。
しかし、悩みが解決するわけでもなくなんとなく名古屋に帰る朝を迎えました。
僕の実家がかなり田舎ということもあり、その日の朝は近く(といっても車で20分くらい)の最寄り駅まで母が車で送ってくれました。
駅に到着し車から降りようとした瞬間、訳も分からず涙が出てきました。
そのまま10分くらい号泣しました。普段全く泣かない人ということもあり、泣いている自分にとても混乱しました。涙も鼻水もよだれも嗚咽も止めどなく出てきて、人生で一番泣きました。
泣き止んだ直後、自分はこんなになるまで追い込まれていたんだとそこで初めてわかりました。自分のことなのに、その時初めてわかったのです。
泣くと感情が落ち着き、自分の思考がとても冷静になります。
母と離れ、電車の席に座ってこんなことを考えました。
「いま、自分は『自分がどうなりたいのか』ということを考えなければこれからずっとこの苦しみに悩まされ続ける。今までも考えてきたが、泣くほど追い込まれていたということは今の手段が間違っていたし、考える時間すらなかったということだ。よし、せかいしけいえいとスペース24を辞めよう。」
本当にすぐ決まりました。10秒くらいです。
そこから5分でせかいしけいえいの参加者と会場を貸してくださる方に辞めるという連絡を入れ、その日の昼にはスペース24の社員さんの元へ行き、きちんと起業家プロジェクトを辞める意向と理由を伝えました。みんな僕の決断を温かく受け入れてくれました。本当にいい方達なのだなと改めて思いました。
今はこの決断に1mmも後悔していません。
なぜなら感情に任せた判断ではなく、きちんと理性的に判断できたからです。
冷静になった今、自分の腑に落ちたものがあります。
それは、自分の身は自分の責任で守っていかなければいけないということです。
いま頑張っていることが辛くても、周りの人は助けてくれません。いまの自分に違和感を感じていても、周りの人はそれを拭ってくれません。
それに対して救いの手を差し伸べてくれることはあっても、それを掴むのは紛れもなく自分だけです。
自分が100%やりたいことではなく、相手の期待だけに振り回されていても、それは相手の責任ではなく自分をマネジメントできなかった自分の責任です。
何か違和感を感じていて、自分のやっていることが長く続かなくても、それは環境のせいではなく、それを選んだ自分の責任です。
だからこそ、自分で自分を守らなければならないと思いました。
同時に、相手の期待に振り回されることがいかにくだらないかがわかりました。
だからと言って、今までの経験が無駄だったという訳ではありません。
せかいしけいえいは、周りの人の協力があってこそ成立したものです。どれだけ渾身の内容を制作してもそこに来る人がいなければそれはただのひとり遊びです。
失敗は自分の責任だけれども、成功は他人のおかげだと肌で感じました。
これからについては、次の目標を決めることに時間を注ぎたいと思っています。
もともとそれを考える時間が欲しいと思って今回の決断をしたので、あえて空白の時間を自分に課してみます。ライスワーク的に何かする以外はあえて何もしません。
何もやらないことに疑問を感じる方もいるかもしれません。しかし、一度歩みを止めてじっくり考えることに時間を注いでも許されてしまうのが学生の特権です。立ち止まっても、進んでも、足踏みしてもOKです。
むしろ、あえてそれに時間を費やすことがいま最も価値ある過ごし方だなと思います。
ただ、永遠にその時間を続けるつもりはありません。
「これだ」と思うものがあったらすぐにそれへ向けて走り出すと思います。それを見つけるためにちょっとだけ遠回りをさせてください。
今日や明日ではなく、もっと先を見て成長していきます。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
これからも変わらず、どうか、よろしくお願いします。