#19 おばあちゃんに温泉旅行を提案したら泣いて喜んでくれた話。
昨日は本当に嬉しいことがあった。
昨夜、僕はおばあちゃんに
「今度の春休み、温泉旅行に連れて行くよ」と提案した。
すると、おばあちゃんは
「本当に嬉しいよ。なるが孫で良かった。こんなこと言ってくれるなんて想像もしていなかったよ。」
と泣いて喜んでくれた。
それを聞いて僕は本当に嬉しい気持ちになった。この話を出して心から良かったと思う。とても幸せな気持ちになった。
なぜ僕はこんな提案を急におばあちゃんにすることになったのか?
その理由は、少しだけ前にさかのぼる。
僕は先日、僕の尊敬する先輩にめちゃくちゃ叱られた。それは、僕があるミスをしてしまったからだ。あまり詳しく言える話ではないのだが、簡単に言うと、目先のお金を気にしすぎて人との繋がりをないがしろにしてしまいそうになった。それを救ってくれたのがその先輩だったというわけだ。
僕はこのことを忘れないようにしようと固く心に誓った。そのために、まずはある本を読むことにした。「ユダヤ人大富豪の教え」という本だ。その先輩に叱られた後、読んでごらんと勧められたのだ。
それを読んで僕の考え方が変わった。変わったというか、ズドーンと自分の中に雷が落ちたような気持ちになった。
今までの人生の中で何度か同じような気持ちになったことがあるが、それと同じだった。あなたもそんなような気持ちになったことはないだろうか?今までの悩みを一発で吹き飛ばし「これだ」と一瞬で決断できるような気持ちだ。
その本は、要約すると「どうしたらお金持ちになれるか」という本だった。
今までの僕のお金持ちのイメージは「意地が悪い」「ずる賢い」「見下している」という負のイメージがあった。我が家の経済が比較的豊かではないということも影響しているのだと思う。子どもの頃から
「お金が絡むと人間関係が悪くなるからお金は悪だ」
という固定観念があった。
その本の中で印象に残った言葉がある。
「お金を頂いたらそれを大切な人と分かち合いなさい。それがお金持ちになる一番の秘訣だよ。」
正直最初は、分かち合ったらお金減ることね?と思った。しかしその考えに至ること自体がお金持ちになれない理由だと思い知った。
それはなぜか?お金を分かち合った「相手」になって考えてみてほしい。もし僕が「相手」なら分かち合われたお金を享受したらとても嬉しい。感謝をする。ひいては、自分も頂いた以上に何か恩返しをしたいという気持ちになる。結果として、お金を分かち合った人は、分かち合ったとき以上に富をなす。しかも、そのサイクルはお互いをハッピーな気持ちにさせる。お金は、使い方によっては自分や周りを幸せにさせるのだ。
これを知り、僕は納得した。本当のお金持ちは自分や周りを幸せにする力を持っているのだ。僕は今までずっと「他人に喜んでもらえるようなこと」を将来の仕事にしたいと思っていた。お金を「分かち合い」周りを幸せにすることは自分の理想そのものだった。分かち合うものはお金でなくてもいい。自分が大切にしているもの、自分が価値を感じるものを分かち合うことが大切である。
その本には、大切な人と「分かち合う」ことはすぐに実践しなさいと書いてあった。
ここ最近、イベントを開催してお金をいただくことが出来た。そのお金を分かち合おうと思ったのだ。そこで、自分でも何かできないものかと考えた。その時、僕のおばあちゃんのことが頭に浮かんだのだ。
僕のおばあちゃんは、僕のことを小さい頃からいつも大切に思ってくれ、応援してくれ、ずっと味方でいてくれた。ずっと前からちゃんと恩返しをしたいと思っていたのだ。だから温泉旅行に連れて行くという案は、僕自身名案だと思った。
ここで話は最初に戻る。
泣いて喜んでくれたおばあちゃんを見て、僕は本当に嬉しかった。それと同時に、あの本に書いてあったことは本当だったのだなと思い知った。
「泣いて喜んでくれる」ことの嬉しさは、お店でいくら払っても買えるものではない。イベントで稼いだお金をおばあちゃんと分かち合うことで、こんな気持ちになれるとは想像もしなかった。
「だいじなものは、ほかのひとにもわけてあげましょう。」「たいせつなひとには、おんがえしをしましょう。」なんて言葉は、幼稚園とか小学校の時に先生が言っていたような気がする。あの頃は何も疑問に思わず「はーい」と返事をしていた。しかし、大きくなるにつれて変な恥ずかしさを覚えたり、世の中の汚い部分を見たりして、そんな当たり前のことがすっかり出来なくなっていた。
お金もちになって、自分や周りの人を幸せにしている人は、そんな当たり前のことを地道にやっている人なんだと思う。
もちろん、お金を稼ぐというビジネスの部分が長けていることもお金もちの条件だ。しかし、お金以外の部分で優れている人こそお金もちになれるのだ。
僕の将来はこれからどうなっていくかはわからない。でもお金を持っていようといなかろうと、周りの大切な人と「分かち合う」ことは忘れないようにしたい。
そう思う19歳の秋の夜長であった。