徒然なる日記

田舎在住。周りよりちょっとだけ楽しいことをしている大学生の見聞録。

#142 自分を見失っていた2ヶ月前の僕へのすゝめ

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今日は、やりたいことが分からなくなって苦しんでいた自分と、将来同じような悩みにぶち当たった時の自分のために書こうと思う。

 

生きていると「今めっちゃ調子いいし充実しているぜ!」期と「もうどうでもいいや…何しても楽しくない…」期が来る。当たり前だ。

 

運が悪いと後者に何週間も、何ヶ月も、何年も悩ませ続けられる。

 

割と調子が良くてまだ余裕があるうちに将来の自分にアドバイスをすると
考えずにひたすら行動すること
が悪いサイクルを抜け出す方法だと思う。

 

「自分の中で悩んでいるだけでは解決しない」っていう決まり文句何回も聞いたことあると思うけど、あれは割とガチ。

「悩む」って「自分が抱えている問題」に心の中で答えが出ないから困っている状態のことだし、そもそも答えが出ているようなら悩んでなんかいない。

 

ああ〜〜早くこの問題を解決して楽になりたいよ〜〜

 

それなら他の人の意見を聞くか、新しいことを目で見て耳で聞いて味わって、思ってもみなかった考え方を取り入れるしかない。

 

 

 

まあだからと言ってすぐに行動に踏み切れない気持ちもある。「新しい考えを取り入れる」って聞こえはいいけれど、今までの自分を否定しているような気持ちになる。

そんな気持ちになる人のために、昨日大切な人から聞いた話でしっくり来るものがあったから書き残しておく。

 

自分は水みたいな人だ。
水って容器の形によって形が変わるじゃん。水たまりみたいに容器にとらわれないようなそのままの形でいる時もあるけれど、そうじゃない時もあるよね。ふわふわした形の容器に入るときは同じ形になるし、トゲトゲした形の容器に入るときは同じ形になる。形は違うけれど結局それは水に変わりはないんだよ。
だから、トゲトゲの時もふわふわの時も同じ自分だからそれを「違う」って否定しなくてもいいんだよ!

 

自分も「テキトーに難しいことは考えず遊んでいたい自分」とか「意識が高いとか言われても好きなことをトコトンやりたい自分」とか「自分を見失わないようにわざわざ自己啓発の記事を書いている自分」とか、いろんな自分がいる。まあ別に自分を分けている気はしないけれど。まあどんな自分がいたっていいじゃないか。それが正しいと思っていれば特に問題なしよ。

 

 

話を元に戻そう。

新しい考えや知識を知って自分を変えていくのは普通のことだ。それならば悩んでいるときはさっさと行動していけばいい。

大抵いいサイクルに入ったときは「自分はこのままでいいのか?」と考えずに日々を過ごせるから悩まなくていい。「悩みなんてなさそうで羨ましいね・・」なんて僻みを言う暇があるなら本当に悩みをなくしてしまえばいい。とは言いつつも大なり小なり誰でも悩みはあるけどね。

 

 

難しく考えすぎなくてもいいのかもしれない。

まあ、人生こんなもんじゃね?